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朝鮮史シリーズ第22回 現代朝鮮〜南北朝鮮の誕生〜

みなさんこんにちは。梶原です。

今回は、南北朝鮮の誕生について書きます。

 

1919年、日本統治時代の最中、旧朝鮮国王(韓国皇帝)高宗の死を日本による毒殺によるものとするデマに乗じ、朝鮮独立派が暴動を起こしますが、鎮圧されます。これを受けて朝鮮独立派は、中国・上海で大韓民国臨時政府(テハンミングクイムシジョンプ)という組織を創設します。大韓の名前は、構成員の一人の申錫雨(シンソクウ)が「日本に奪われた国号」として採用を提案したものです。そして強盗などで生計を立て、その後中華民国政府の支援を得て、1938年からは支給金をもらって活動費に回します。

韓国では、左派を中心として韓国建国1919年説(韓国政府は大韓民国臨時政府から続いている)という説があり、文在寅(ムンジェイン)などはこれを信奉しており、教育などで浸透を図っています。しかしこの大韓民国臨時政府は、中華民国を含めどこの国からも政府機関として認められたことはありません。

さて、1945年8月15日に日本が第二次世界大戦で負けたことにより、朝鮮が日本の支配から離脱します。早速朝鮮独立派の重鎮だった呂運亭(ヨウニョン)が、旧朝鮮総督府の支援を得て朝鮮建国準備委員会(チョソンゴングクジュンビウィウォンフェ)を創設します。そして9月に朝鮮人民共和国(チョソンインミンゴンファグク)に改組しますが、満州に侵攻した勢いで朝鮮に軍を駐留されたソ連と、ソ連を牽制したいアメリカが、共に国家承認を拒絶します。そして10月、北緯38度線を境として北半分はソビエト民政庁(1946年に北朝鮮人民委員会・プクチョソンインミンウィウォンフェに改組)が、南半分は在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁が統治することになります。

朝鮮では8月15日を光復節(クァンボクジョル・朝鮮独立記念日)としていますが、実際の独立は1895年4月17日(下関条約締結日。第19回参照)です。下関条約によって朝鮮は属国の地位を脱し、のちに日本に併合されつつも、朝鮮王家は日本の王族となります。しかし「光復節」は、朝鮮が米ソ両国に翻弄される始まりだったのです。

朝鮮は大韓民国臨時政府の中心であった呂運亭、金九(キムグ)、金奎植(キムギュシク)らの中道派と、彼らの仲間だった李承晩(イスンマン)率いる右派、そして満州、のちにソ連を拠点として反日共産ゲリラを率いていた金日成(キムイルソン)率いる左派に分裂します。

1948年8月13日、李承晩は中道派と左派を暗殺・追放し、南半分だけの一方的な選挙を実施し、大韓民国(テハンミングク)建国を宣言します。これに対抗して金日成も、9月9日に朝鮮民主主義人民共和国チョソンミンチュチュウィインミンゴンファグク)建国を宣言します。

韓国建国1919年説では、1948年を「親日派による民族分断の年」としていますが、朝鮮分断の真犯人は李承晩だったのです。彼は自らと思想が異なる人々を殺し、追放し、異なる派閥との交渉を決裂させ、朝鮮分断の元凶となりました。

彼はヤクザ(反日義兵の末裔で、無籍だった。古今東西ヤクザの政治関与は普遍的だった。)を組織化し、以下の二つに分けます。

1 大韓民国青年同盟(テハンミングクチョンニョントンミョン):全斗漢(チョンドゥファン)が首領

2 西北青年会(ソプクチョンニョンフェ):脱北者が構成

そして彼らを政敵暗殺の道具として使います。そして当時一大政府批判地で、共産ゲリラも入り込んでいた済州島で、1948年に済州島四・三事件/済州四・三事件(チェジュサ・サムサゴン)を起こします。この事件は、西北青年会が済州島で6万人(人口の20%強)を虐殺したものです。済州島の人口は当時28万人でしたが、これらの迫害を恐れて人口の大半が流出し、3万人にまで減りました。現在の在日韓国・朝鮮人の大半は、この時亡命してきた済州島出身者です。

その他彼は、聞慶(ムンギョン)、麗水(ヨス)・順天(スンチョン)、居昌(コチャン)、江華島(カンファド)といった所でも、共産主義者とみなした人々を大量虐殺しています。

このような中で、金日成は武力による朝鮮統一を決意し、北緯38度線の南へ侵攻します。

 

次回は、朝鮮戦争と李承晩・金日成について書きます。