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朝鮮史シリーズ第14回 文禄・慶長の役(壬申・丁酉の倭乱)〜文禄の役(壬申の倭乱)後半〜

みなさんこんにちは。梶原です。

今回は、文禄・慶長の役(壬申・丁酉の倭乱)のうち、文禄の役(壬申の倭乱)の後半について書きます。

 

時の明(中国)の皇帝である万暦帝は、全く政治に関心のない無能な皇帝でしたが、日本の朝鮮侵攻を受けて突然政治に関心を持った人物です。彼は李如松を大将軍に据えて5万の軍勢を率いさせ、これを朝鮮に送り込みます。

彼は朝鮮で略奪、強姦、食人に明け暮れ、また1万人の朝鮮人を虐殺して髪を剃り、日本軍将兵の首として提出したとんでもない人物です。

そして彼は日本軍に講和を持ちかけて時間稼ぎをし、平壌ピョンヤン)におびき出して撤退に追い込みます。冬の厳しい寒さもあって日本軍は漢城(ハンソン)付近まで撤退します。

ところで、日本軍も明軍も、この戦争での最大の敵は敵軍ではありませんでした。では何でしょうか?飢餓です。朝鮮はその名前の通り、非常に痩せていて産物も皆無に等しい土地でした。寒冷で大半が岩山です。そして中国など宗主国の無残な収奪が常態化しているので、世界の最貧国となってしまっていたのです。朝鮮が日本に米を伝えたということがこの前までは通説となっていましたが、米を食べられるのは王族と両班(ヤンバン)だけで、庶民の常食は雑穀と山菜でした。韓国・朝鮮料理で有名なキムチは、今では白菜などの唐辛子漬けですが、元々は山菜の塩漬けだったのです。

それゆえ日本軍は、朝鮮王を捉えて朝鮮を中国侵攻の足がかりにするつもりで、兵糧もわずかしか用意していなかったのですが、朝鮮王に逃げられて戦争が長期化し、なおかつ予想外の貧しさにも見舞われ、兵糧が底をつきます。そのために略奪に頼るしかなくなり、普段から生きるか死ぬかの瀬戸際に襲われていた朝鮮人たちが、次々と義兵(ウィビョン、ゲリラ)を結成し、日本軍を襲います。日本軍は彼らや朝鮮正規軍と戦い、討ち取った敵兵の鼻と耳を塩漬けにして送り、耳塚(鼻塚)を建てて供養しました。

さて、明軍も兵糧問題に悩まされ、李如松は兵糧不足で柳成龍(リュソンリョン)責め、柳成龍は泣きながら謝罪ます。そして漢城(ハンソン)北方の碧蹄館(ピョクチェグァン)で日本軍の迎撃に遭い、完敗します。

そして日本は、勘合貿易(日本と明の正式な貿易)の復活や朝鮮から日本へ数名人質を送る、日本と明の和解、朝鮮の南部四道(慶尚道全羅道忠清道、江原道)の割譲を要求し、停戦します。日本軍は皆釜山一帯まで撤退します。紀州徳川家に残る書状によると、日本の捕虜となっていた朝鮮の二王子の臨海君(イメグン)と順和君(スンファグン)も日本軍と行動を共にしたそうです。

朝鮮は李如松に日本軍追撃を懇願しますが、李如松はこれを一蹴します。まず自分たちが積極的に前方に出て戦えということです。当時の戦争は、最前線にある国・地域が真っ先に犠牲を払うということが国際的に常識だったのですが、朝鮮は一切を明に丸投げしていたのです。

そして交渉への返事は4年後に返ってきます。明は日本の提案を一蹴し、豊臣秀吉日本国王(要は中国の属国である日本の君主)に封じます。豊臣秀吉は激怒し、停戦を破棄します。

この戦争を、文禄の役、朝鮮では壬申の倭乱こと壬申倭乱(イムジンウェラン)と言います。

 

次回は、慶長の役(丁酉の倭乱)について書きます。