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朝鮮史シリーズ第12回 朝鮮王朝の確立とハングルの真実〜後半〜

みなさんこんにちは。梶原です。

今回は、ハングルの発明と世宗の他の業績について書きます。

 

前回では、世宗までの朝鮮王朝の歩みと貢女(コンニョ)について書きました。彼は韓国ではハングルの発明者、慈悲深い王様とされていますが、実際彼は、他の朝鮮王に負けず劣らず暗い面の方が多かったのです。

1420年、彼は集賢殿(チッピョンジョン)という古来からある研究機関を拡大し、パスパ文字(元の公用文字)や漢字、仮名文字を研究させて新たな発音記号を作ります。当時の朝鮮は国民の約99%が文盲で、それを打開しようと彼はこの事業を行いました。1443年、彼は「愚民を訓(おし)える正しい音」ということで訓民正音(フンミンジョンウム)を制定します。

彼はこれを、当時漢字で表記された朝鮮語の発音記号として制定しました。漢字のおまけとしてです。しかしこれに対し、集賢殿副長官の崔万里(チェマルリ)などの保守(属中)派が猛反発します。完全に中国にかぶれていた彼らは、彼の独自の発音記号制定=聖なる中華様からの離反と捉え、訓民正音を制定するなら我々を殺してからにしてくれ!と猛反発しました。また両班(ヤンバン)が、自分たちの政治がいかに暴虐に満ちているのかを隠蔽し続けるために、教育の拡大に猛反対しました。そのため訓民正音は、19世紀後半の日本の朝鮮進出の頃まで普及しませんでした。

また彼は、大変な身分差別主義者でした。当時の朝鮮には上から順番に両班(ヤンバン)、中人(チュニン)、常人(サンイン)、賤人(チョニン)という形で身分制度があり、それがインドのカースト制度よりも厳格に固定化していました。そんな中で彼は奴婢従母法(ノピジョンモボン)という法律を制定し、母親が奴婢であれば、父親の身分を問わず奴婢として扱うことを制度化しました。当時の朝鮮は性奴隷・売春大国で、女性を子供を産む道具・男性のおもちゃとして扱う社会であり、両班などの貴族は大勢の奴婢(性奴隷)を所有していました。日本が慰安婦を性奴隷にしたということが韓国・北朝鮮で騒がれていますが、その前に両班自身が性奴隷を大量に所有し、女性をおもちゃとして扱っていたのです。日本も多少の問題あることをしたのは事実ですが、朝鮮も自身の過去も直視し、お互い何が問題であったかを直視するべきです。

このように、朝鮮では各自が私利私欲を満たすために行動し、特に両班は中国などの大国に媚びへつらって人民から搾取しまくるという社会状態が固定化し、極度の貧困と疫病、暴力にまみれた失敗国家と化してしまうのです。

その朝鮮の属中の土台となった朝鮮朱子学チョソンチュチャハク)は、16世紀半ばに李滉(リファン)や李珥(リイ)らによって確立されます。李珥は母親が朝鮮の女流画家である申師任堂(シンサイムダン)です。韓国では李滉が1000ウォン札、李珥が5000ウォン札、世宗が10000ウォン札、申師任堂が50000ウォン札の肖像になっています。北朝鮮では主に共産革命関連のものが貨幣の肖像になっているのに対し、韓国では主に李氏朝鮮をはじめとする歴史関連のものが貨幣の肖像になっています。

ちなみに中国という名前は、20世紀の辛亥革命の時に、革命家の一人である章炳麟が「中華を国号にするべき」と言って考えられたもので、もともと中華民国の略です。その前に頻繁に使われていた支那の名前の由来は、中国最古の王朝である秦です。それ以前から使われている大夏華夏は、中国の創成期から使われていました。これらの候補の中から中華が選ばれ、中国という国名が確立したのです。

さて、世宗の死後約19年経った1469年、成宗(ソンジョン)が即位し、王母の仁粋大妃(インステビ)と成宗即位の功労者韓明氵會(氵會は一つの漢字で、中国語・韓国(朝鮮)語特有です)(ハンミョンフェ)が実験を握ります。1482年、この二人は成宗の側室尹氏(廃妃尹氏・ピェピユンシ)を邪魔者扱いして殺します。1495年に燕山君(ヨンサングン)が即位し、しばらくして母親(廃妃尹氏)の死の真相を知ると、1504年には甲子士禍(カプチャサファ)という大規模粛清を実施します。彼はこの時祖母の仁粋大妃を虐待して殺したほか、韓明氵會(1487年)の墓を暴いて遺体を損壊させ(剖棺斬屍・プグァンチャムシ)、また自らに反対するものをこの二人のシンパと疑って手当たり次第に殺します。このことをハングルで反対派に追及されたことから、彼はハングル禁止令を出します。

世宗の唯一と言っていい遺産の訓民正音(ハングル)は、中国の属国で実質無主地であった朝鮮の権力争いの中で、19世紀後半まで闇に葬られるのです。

 

わきまえのない者たち。あなたがたは、いつまで、わきまえのないことを好むのか。あざける者は、いつまで、あざけりを楽しみ、愚かな者は、いつまで、知識を憎むのか。(箴言1:22)