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朝鮮史シリーズ第4回 統一新羅〜前半〜

みなさんこんにちは。梶原です。

今日は、朝鮮最初の統一国家である新羅について書きます。

 

642年、百済高句麗の復興に乗じて大耶城(テヤソン、現在の慶尚南道陜川)に攻め込んで大勝し、城主一家が殺されます(大耶城の役)。この城主の妻は新羅王家の血を引いていたため、このことで百済新羅の関係は修復不可能になります。この直後に百済高句麗が和解して倭(日本)とも連携し始めたため、危機を感じた新羅は唐の援助を仰ぎますが、唐は新羅を属領とし、唐の王族を封じることを要求します。新羅は唐の属国となることを免れるために年号(650年、独自の年号を廃止します)も官制も一切合切唐に合わせます。金庾信(キム・ユシン)といった有能な家臣の活躍で新羅は体制を整えます。655年から百済高句麗の攻撃を受け、唐も新羅の要請に応じて658年に高句麗を攻めますが、大敗します。そのため660年に唐と協力して百済を挟み撃ちにし、滅ぼします。百済の残党は倭(日本)や高句麗の支援を得て周留城(チュリュソン、錦江河口付近)を拠点として徹底抗戦します。倭(日本)は4万7000人の大軍を派遣して百済を助けますが、唐軍13万、新羅軍5万の前に敗れます。百済の豊璋王(プンジャンワン)が家臣の名将鬼室福信(キシルボクシン)を殺すなど内部分裂があった上、倭(日本)軍が白村江に布陣しているところ、数の上で圧倒的に勝る唐・新羅連合軍の奇襲に対して突撃戦法で反撃するというように、作戦以前に戦争自体が無理のあるものであったのです。それでも倭(日本)・百済連合軍は3年にわたって勇敢に戦いました。そしてついに、白村江の戦いで完敗します。

倭(日本)はこの戦いで朝鮮から完全に撤退し、取り残された倭人百済人たちは濊族による虐殺・強姦といった民族浄化によってアイデンティティを完全に失ってしまい、その日を食いつなぐのに必死になってしまうほどの無残な収奪の対象になります。

 

さて、白村江の戦いに敗れた倭(日本)は、中国語で小人、従順な人を意味する倭を嫌い、代わって和、そしてそれに大を加えて大和と名乗ります。そしてヤ(古代日本語で上へ)とマ(古代日本語で下へ)とト(古代日本語で一つとする)を合成した古代からの自称であるヤマト(古代日本語で一致する)に大和という漢字を当てたのです。倭(日本)人も百済人も皆共に力を合わせて国家として生きていこうとした意気を、自国の一名称、大和(ヤマト)として表したのです。

そして607年の遣隋使の文章にある「日出づる所の国」にちなんで日本という正式国号を制定し、倭に代わる正式名称とします。

属領である任那、属国である百済という、自国の一部を失うことを通して近代以前には珍しい国家意識を完成した日本は、この時から朝鮮と完全に決別し、日本(日本人)として新羅朝鮮人)と違う歴史を歩むことになります。

 

次回は、新羅の朝鮮統一後の実態について書きます。