聖書 そこにある真実

真実の百科事典 聖書を中心として諸々から紹介

日本

歴史

紀元前2000〜紀元前400頃 縄文時代

三内丸山遺跡をはじめとする大規模集落は北から増えていったため、アイヌ民族による文化と思われる縄文文化。のちに来る弥生人たちとアイヌ民族の混血が私たちである。

アメノミナカヌシという唯一神を中心とした宗教をこのころから信奉しはじめた。高天原神話は人々が口頭伝承した聖書の記事が曖昧になったことで出来上がったのだろう。

紀元前400頃〜200年頃  弥生時代

中国に戦国時代が到来し、大陸から難民が続々と朝鮮や日本に到来。

3世紀半ば 邪馬台国(卑弥呼による日本最初の統一政権。彼女の死後形骸化。)

4世紀初頭 大和の有力部族(のちの天皇家)が日本を軍事力で統一。

4世紀末  難波よりホムワタケ(応神天皇)、忍熊王を倒し、王位簒奪。

この頃急速に古墳が増える。同時に皇族の腐敗と伝統宗教との癒着始まる。

539 仏教伝来。革新派の蘇我氏が急成長。保守派の物部氏と敵対。(以上古墳時代)

皇族と巫女の不義密通が常態化するなどし、伝統宗教が仏教に急速に押される。

587 蘇我氏物部氏を打倒。

592〜622 聖徳太子の政治

天智天皇天武天皇は不和

聖武天皇の影響で奈良後期皇族仏教に熱心に帰依し、大胆で機略持った僧兵が威張る 

摂関政治天皇家と藤原家の対立で失敗し、白河法皇院政を始める。このころは民衆が末法思想などの迷信に囚われていた時代で、それから白河法皇は民を救った。

しかし院政天皇上皇法皇の対立で失敗し、日本は失敗国家化。

源頼朝鎌倉幕府を建て、日本に再び平和が訪れる。

源氏の滅亡後、後鳥羽上皇鎌倉幕府打倒を試みるが、人心をつかんだ幕府に大敗、失脚。

1274 文永の役

1281 弘安の役

元の平和交渉を野蛮なやり方で応じた鎌倉幕府が受けた侵略で、恩賞をもらえなかった武士の不満が爆発。北条高時ら幕府重鎮は無能のゆえに後醍醐天皇の勢いを止められなかった。そして後醍醐天皇隠岐に流すも時すでに遅く、必死で戦った後醍醐天皇の前に幕府軍は敗北を重ねた。

1333 鎌倉幕府滅亡。しかし後醍醐天皇の政治(建武の新政) は公家を甘やかしすぎたため、武士のために立ち上がった足利尊氏に敗れ、大和吉野山に逃走。籠城。

1392 足利尊氏の孫足利義満南北朝合体。足利氏の平和政策を完成。

戦国皇室は筆を売るほどの、極限の貧しさにあった。

井伊直弼岩瀬忠震らは、アメリカへの平和のために条約調印を堂々と主張し、井伊直弼が偽の調印をすることでアメリカなど欧米列強と戦争せずに済んだ。

徳川幕府は窓口制限しただけで、海外事情に疎くなかった。

井伊直弼は「この条約は仮のものである。」と言っているから、彼の調印はうわべだけのものである。 

徳川慶喜、フランスの力を借りて軍の近代化と政治の改革を図る。

薩長を懐柔したイギリス、グラバーを通して彼らを動かし、徳川幕府を滅ぼす。そして天皇の専制政治を確立させる。

米騒動は貧困と飢餓に喘いだ民のアクションで、私利私欲にまみれた富豪と癒着した政府は、ソビエトに向けるはずの武器を国民に向け、これを圧殺した。

出典元:大川周明-日本二千六百年史-

              西鋭夫-明治維新という過ち-

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