聖書 そこにある真実

真実の百科事典 聖書を中心として諸々から紹介

言語について 概要

言語とは、音声や文字を用いて、事態(思想・感情・意志など)を伝えるために用いる記号体型です。また、それを用いる行為のこともさします。

ソシュール(1857~1913、スイスの言語学者)以来、共同体の用いる言語体系をラング、個人の言語活動をパロールといいます。

大雑把に分けると、言語は音声言語とこれを前提とする文字言語にわかれ、思考の発展は大半が文字言語によるものである。

音声言語は発話と了解を基礎とし、言語単位(音素、形態素、単語)をもとに音韻体系、文法体系(形態体系、統辞法)を構成する。

音韻と意味、文字と音韻・形態素・単語の連合は社会習慣による。

言語の数は約3500と推定され、分岐的(祖語-語族、方言)発達と統一的(共通語志向)発達の2傾向を示す。

これら自然言語に対し、国際語(エスペラントなど)や、理論的普遍言語(諸科学に共通)を人工語という。

近代以降の世界と人間の記号化の進行とともに自然科学の諸分野では記号言語への接近が目立つが、記号に還元されない言語の本質についての省察言語哲学の隆盛をもたらしている。

 

詳細は後ほど書く言語の一覧と文字の一覧へ。

 

二学期の決意

六月に初めてブログを書いてから久しくブログを書いていませんでしたが、こうして久しぶりにブログをかけることを嬉しく思います。

高校一年生の二学期を今月一日に迎え、勉強もいろいろ忙しくなるなか、普段の生活の規則を決めてみました。

 

1 学校の勉強以外で辞書などを使い、コツを掴んで勉強する 。(コツ)

2 適度にスポーツや読書などの娯楽を楽しみ、余裕を持つ。(楽しむ)

3 ハングリー精神を忘れず、将来のことを考え、常に結果を求めてする。(忠実)

 

この規則を守って楽しく忠実に勉強したいと思っています。

それではまた。

真実の救い

この世界には神などいないという人がたくさんいます。

ただし、どの言語にも例外なく神という言葉はありますよね。

また、どの精密機械よりも複雑に作られている人間の体や自然界を見ても、この世界が偶然にできたというのは不自然だとしか言いようがなくなってしまいます。子供が座る椅子すらも作った人がいるのですからね。

では、どの宗教が真実なのかという問題に入ります。世界中の宗教で唯一神についてはっきりと書いてあるのはキリスト教です。また、キリスト教は世界中に広まっている、行いによって救われること(律法主義)でない唯一の宗教です。

そもそも法主義は、行いによって救われていることを前提としており、それは犯罪者が謝罪せずに善行を重ねて犯罪を許してもらおうとする考えと同じです。神はこの世界の創造者ですから、人を愛しているが、罪は絶対に裁かれる方です。その裁きの場は死んだ後に行く地獄(火でいつまでも焼かれる)です。

では、救われるために何をすれば良いのでしょうか?それは、素直にイエスキリストが人間の罪を許すために人としてこの世に来て十字架にかかって死に、三日目に蘇った神と信じるだけでいいのです。自分で蘇るなんて神でなければできないし、人ならば一度は嘘などの悪事を犯したはずですから。それにキリストの復活無しにはキリスト教は存在しないはずです。存在したとしても嘘つきのカルト教団として一瞬で殲滅されてたことは間違いありません。その証拠にイエスキリストの弟子たちは誰一人として死を恐れることなく殉教していきました。故にキリスト教は真実と断言できます。

あなたがイエスキリストを信じる決心ができたならこのお祈りをしてください。

神様。私は今日、あなたを無視した人生をやめてあなたの前に出ます。

私はあなたの前にこれまで罪を犯し、あなたによって死んだ後地獄で裁かれなければならない罪人です。しかしこの私の罪を許すためにイエス様が十字架に架かって死んで三日目に蘇ってくださったことを信じます。

神様。これから私と共に歩んでくださることを感謝します。さらにあなたを信じる信仰を強めてください。イエス様のお名前を通してお祈りします。アーメン

あなたがイエスキリストを信じてから罪を犯したら神様との交わりは絶たれますが、自分が神様に罪を犯したということを認めれば神様はあなたとの交わりを回復してくださいます。ただ、神様を信じた以上喜んで罪ではなく神様の喜ばれる行いをしたほうが聖徒(イエスキリストを信じる人。クリスチャンともいう。)としての人生にふさわしいです。ですから神様の喜ばれる行いをオススメします。

罪=淫行(結婚によらない性関係)、偶像崇拝(神様以外のものを拝むこと。占いなど)、敵対心(他人を嫌う。殺人や嘘つきもこれから始まる。)

神様の喜ばれす行い=隣人愛(人を愛する。この心から思いやりが生まれる。)、神様への信頼、神様のことを伝える。